三網の神紋は土師氏並びに檜前氏の家紋である。
三網紋のまん中は中知、右側は兄浜成、左が弟竹成を表し、左右で微妙に高さの違いがある。


 三社祭の歴史
 三社神輿について

三社神輿について

 戦前、浅草神社には新旧7体の神輿があった。古いものの中には、徳川家光により寛永14年(1637年)建造寄進されたものがあ り、その後300年間、担ぎ抜かれた見事なものだった。昭和2年以来保存され、新たに3体を新調したが、戦災で神輿庫が焼け、四之 宮(明治初年田町で新調した、東照宮の神輿)とも新旧7体全部を、惜しくも消失してしまった。現在の本社神輿は、一之宮、二之宮が 昭和25年、三之宮が昭和27年に、氏子44ヶ町によって奉納されたもので、聖天町の宮本神輿店の作によるものである。但し、往事 の神輿より胴が細く、わらび手が大きく、近代的ではあるが、古風な味は失われた。御祭神は言うまでもなく、浅草寺の御本尊観音様の「御示現」に関わった、郷司の土師中知と兄弟漁師、檜前浜成と竹成の三人を神様 として祭ったものであり、三人の神様から「三社」を称され、「一之宮」が土師中知(ハジノマツチノミコト)、「二之宮」が檜前浜成 (ヒノクマハマナリノミコト)、「三之宮」が檜前竹成(ヒノクマタケナリノミコト)に配されている。この他、徳川家康、大国主命も 御祭神である。また、御祭神は家内安全・豊作・豊漁である。本社神輿の台座幅は、3体とも1290m/m(4尺2寸5分)。重量 は一之宮が1060Kg。二・三之宮が1000Kgである。高さは、一之宮が2620m/m。二・三之宮が2120m/mである。さてここで、神輿を担ぐ時のかけ声について簡単に検証してみたい。今や三社祭も、セイヤ・ソイヤが主流となってしまたが、かつて は、現在でも頑固にその伝統を守っている、深川祭同様、「ワッショイ」であった。これをイントネーションから分析してみると、 ワッショイ→ワッショイ→ショイワッ→セイヤと大まかではあるが、変化して来た事が解る。(下線部にアクセント)つまり、「ワッシ ョイ」とは大勢で重いものを担ぐ時のかけ声であうり、上に持ち上げる過程で、語源が、まるで円運動を描く様に変化していったのであ る。そしてそこに、地域外の言葉、「セイヤ」が入って来た事になる。明治期の出版物である「東京風俗志」によれば、和を背負う、和をもって平和を担ぐ。和一処、皆がひとつになって、力を合わせる。 ひとつの目的を達成するとある。